2016年3月7日月曜日

樋野興夫さんも一方通行ブログ、似ていると感じたのでけいじのブログを検索・再確認

樋野興夫さんの本『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』に先生も日記の代わりにブログをつけていると書いてありました。
それが、けいじのブログについての考え方と似かよっているなと思いました。
そこで、"ブログ"とキーワードを入れて『けいじのがらくた話』に検索をかけて調べてみました。
ブログについて、けいじの考え方を述べているものを最新のものから順にピックアップしてみました。
❶2015年10月11日日曜日『けいじのブログファンが伴侶の英会話友達にいた、「わたみん家」にて会食する』
◆父親が、はたまた、じいじがどんなことを考えていた人なのか、どんな人だったのかを娘たちや、孫たちが知りたくなったときに紐解けるよう記録(自分史)をブログに残しておくのがいいのではないか。
❷2015年3月8日日曜日『シニアに最適の趣味、張り合いの出るブログなどの作成』
◆これは、けいじのブログ作成にも当てはまるものがあります。
●積極的に外出するようになる
●その情景をただ説明するのではなく、そこから感じた「人間の性(さが)」や「人生」のおかしみ、悲しみを表現する
●考えて頭をひねる
●生活に張りがでる
つまり、旅先や散歩の途中などに、ふと気になったことをブログで採りあげることが生きがいにつながっているようなのです。
この記事のように川柳、詩、短歌、写真などに熱中していると、生活に張りができることは間違いありません。
シニアには最適な趣味のように思います。
ブログもそうですが、このような趣味にはまっていると、けっこう忙がしくなるものです。
❸2014年5月24日土曜日『Googleカレンダーの再開、日記はブログで時間に縛られないように』
◆いつの間にか、またスケジュールに縛られる生活に陥っていたのでした。
サラリーマン時代の生活スタイルが抜け切っていなかったわけです。
それを機に、生活スタイルの方向転換をはかりGoogleカレンダーをつけるのもやめてしまいました。
それからは、計画や予定やスケジュールは後回しにして、心の底から湧き上がってくる想いを重視する生活に切り替えてみました。
心の底からの叫びをブログで採り上げるようにしてきました。
また、ブログを日記代わりになるようにもしてきたわけです。
そんなこともあってブログが頓挫せずにいまも続いているように思うしだいです。
❹2014年2月7日金曜日『断捨離(思い出の品)、ブログでお弔いをしては!?』
◆その儀式にブログを活用してみてはどうだろうか?
記念に撮った写真に文章を添えてブログに掲載しておけば、いつでも思い出して、思い出に耽ることができるようになります。
また、写真を掲載して断捨離の様子を書いてお弔いして送り出してあげれば、思い出→念→執着を断ちやすくなるではないか?と。
つまり、モノを捨てるのにブログを活用すれば一段と断捨離がはかどるのではないかとの結論に達したわけです。
❺2014年1月19日日曜日『「けいじのがらくた話」、ブログにて自分を見つめる』
◆アクセス数が増えてくるとブログを作成することに張り合いのようなものが芽生えてきます。
そのうち、ブログネタの収集に気を配るようになります。
それが習慣化してくると次から次へとブログのネタが見つかるようになります。
娘たちにすすめられて2008年12月30日に、このブログをはじめました。
それから2年経った頃に断捨離という言葉に出会いました。
断捨離をはじめたころ、"がらくた"は処分・捨てられる運命にあるので、"がらくた"という言葉が入っている「けいじのがらくた話」というタイトルは、好ましくないかなと悩んだことがありました。
捨てられる運命にある話を書いていることが虚しく寂しく感じるように。
しかし、我楽多という字が当てられるじゃないかと鼓舞して、種々雑多な取りとめのない話ができるからいいではないかと思い直して継続してきました。
最近では、浮かんでくる雑念、つまり"がらくた"がすべてブログのネタになっているではないかと思っています。
PVを高めるためには反応の多いネタに絞って採り上げればよいように思います。
しかし、けいじのブログは、雑念を扱うことによって何が出てくるかわからないという意味で"がらくた"という言葉が似合うと思うようになりました。
雑念をネタにして掘り下げていくことによって自分探しの旅、強いては自分を見つめる(極める)ことになるのではないかと思っています。
また、過去に書いたブログにもリンクを張っていくことによって、その当時の自分とも向き合い対話ができる、つまりその当時の自己を見つめることにもなるのではないかと。
今ではブログをはじめて本当によかったと思っています。
❻2013年12月16日月曜日『進化するブログを目指して、加筆修正を加え改善をはかる』
◆この作業をしっかりと続けていけば、ブログが立派な自分史にもエンディングノートにもなりうると信じているからです。
けいじの宝物となるように、日々、進化するブログを目指していきますわ。
❼2009年3月4日水曜日『コメントが書き込めないブログ』
◆このブログにはコメントが書き込めないようです。
家族の者が、そう言ってました。
ブログを作成・設定するときにチョンボしたようです。
いまでは、それがかえってよかったかな、と思っています。
炎上の被害に遭わなくてすみます。
好き勝手なことが自由に書けます。
人の目を気にすることなく書けます。
唯我独尊状態でいけます。
タイトルの「がらくた話」にぴったりですかな!
❽2009年2月8日日曜日『ブログと家族』
◆むすめがブログで父親のことを取り上げてくれました。
2月5日の「お父さんと仏様」で取り上げてくれました。
◆そこで、ブログのこれからのありようを考えてみました。
・家族各人がブログを開設する。
・家族の頑張っている姿をそれぞれ取り上げる。
・家族から感銘を受けたことを取り上げる。
このように、家族それぞれの長所などをブログにて紹介し、それを受けてこのブログのようにさらに紹介していく。
さすれば、家族の間で、励ましあいの好循環ができるのではと思ったしだいです。
如何ですかな!
これからのブログのあり方として!
これを読み直してみると、けいじのブログについての考え、あり方が少しづつですが自然と形成されつつあるように思います。
先生のSNS、ブログについての考え方は次のとおりです。
◆いま日本人の多くが一人になることを恐れています。いつも誰かとつながっていたいと願っています。みんなに関心を持ってもらわないと悲しくなります。自分は無視されているんじゃないか、自分は嫌われているんじゃないか、自分には価値がないんじゃないかと一人不安におびえています。(p143-144)
◆フェイスブック、ツイッター、ライン ―― 私はいずれもやっていません。唯一、日記代わりにつけているプログがありますが、私のプログは基本的に一方通行です。読者からの感想やコメント欄は特に設けておりません。
周りの反応に一喜一憂したくないからです。(p144)
◆フェイスブックやツイッターを始めると、どうしても相手の反応が気になります。だから私はやっていません。同業の中にもやっている者は大勢いますが、私は距離を置いています。(p144)
◆確かに人の評価は大切です。しかし、評価ばかり気にしていると軸がぶれます。
自分のやりたいことができなくなります。それでは本末転倒です。(p145)
◆ソーシャルメディアによって一人になる時間を奪われることも問題です。
自分とは何者か?自分の役割は何か?自分の使命は何か?
その答えを得るためには、集団の中で「自分」というものを知り、一人になってとことん考え抜かなければなりません。自分の存在や役割や使命といったことは、他の人と一緒にいるときには考えられないからです。
◆孤独な時間は生きていくために欠かせないものです。孤独なくして、自分に与えられた役割や使命を見つけるのは難しいでしょう。
孤独を恐れることはありません。
◆集団の中で自分を知り、一人になって考え抜く。
周りの評価ばかり気にしていると自分らしい生き方ができなくなる。(p146)
先生の本を契機に、ブログについてのけいじの考え方がどのように推移してきたのかが再確認できましたわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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