2017年9月15日金曜日

中野信子さんの『努力不要論』、脳の怖いお話、さぼろうとする脳に一喝

2017年9月14日(木)のブログでも紹介したとおり、感銘を受けた中野信子さんの本『努力不要論』(フォレスト出版)を再読しています。
第1章にスゴイ個所が出てきました。
脳科学的な見地から努力することについての怖い話が。
それは脳が無意識のうちにやってしまう結果、次のような怖いことが起こるようなのです。
・「努力は報われる」という言葉でヒトはいとも簡単に洗脳されてしまう
・努力すること自体が目的になってしまう
・我慢の限界を超えると、我慢しなければならないことでも我慢できずにハメを外してしまう
・「がんばる」というのは、自分を冷静に見つめる目を失わせるものであり、努力そのものが楽しくなってしまうと、ほかのことが考えられなくなってしまう
というように。
それでは、その個所を見てみましょう。
【◎努力は人間をスポイルする】(p52-55)
◆さて、ここまで2つの「努力」の概念が出てきました。
整理してみましょう。
戦略もなにもなく、ただがむしゃらにがんばる努力と、①目的の設定、②戦略の立案、③実行の3段階のプロセスを経た努力です。
以降、前者を「狭義の努力」、後者を「広義の努力」として使い分けて考えていきましょう。
◆そもそも努力というと「時聞をかける」「身体や精神に負担をかける」という古典的なイメージがあります。もちろん、これは狭義の努力の考え方です。この考えにとらわれていると、「努力は報われる」という言葉でヒトはいとも簡単に洗脳されてしまいます。
◆まさに、先ほどご紹介したアラフォー女子の婚活や日本の英語教育が典型例です。行動のベクトルはまったく目的に向いていないのに、本人は「がんばっている」「良いことをしている」「目的に近づいている」と思い込んでいるわけです。
◆ハマリすぎた人は、努力教という宗教の信者といってもいいほどです。人間の思考能力を奪うものですから、私はあまり努力教徒になることはおすすめしません。
◆努力している自分――。
これはとても中毒性の高いものです。努力しているさなかにあって、努力すること自体が目的になってしまっている人は、やはり「努力している自分」に喜びを感じているのです。
◆それを示す実験があります。
ダイエットをして、「今日はほとんど食べなくてよかった」とか、「身体に良い物を食べた」と認知している人は、倫理的に悪いことをする傾向が高いという研究があるのです。
◆これは、ヒトの我慢できる量が決まっている、ということを示す実験によるものです。
つまり、我慢の限界を超えると、我慢しなければならないことでも我慢できずにハメを外してしまうのです。「自分はこれだけ正しいことをしたんだから、許される」という言い訳を、なんと無意識のうちに脳がやってしまっているのです。
◆ある行為を我慢するという形の努力をすると、ヒトは快感を得ます。そして、自己評価が高まってしまい、かえって逸脱した行動をとるようになつてしまうのです。
◆努力と逸脱した行動というのは、結びつかないように感じますが、じつは密接に関係しているということがわかったんですね。
◆たまにスポーツのスーパースターや、伝統芸能の人気俳優がやんちゃな事件を起こして話題になることがありますよね。
「オレはこれだけ厳しい練習をしているのだから、少しぐらいのことは許されるはずだ」と、脳が無意識に判断しているということも十分考えられます。
◆つまり、努力は人間をスポイルすることがあるということです。努力しているという感覚があるだけで、自分がすごい人間になったような錯覚を覚えてしまうのです。
◆「がんばる」というのは、自分を冷静に見つめる目を失わせるものであり、努力そのものが楽しくなってしまうと、ほかのことが考えられなくなってしまう傾向があります。
いやはや!
このような脳の働きがあるゆえに、バイキングでも次々に取り沙汰される人が後を絶たないのかもしれませんね。
そこで、斎藤一人さんが言うように、「こいつ、またさぼうろうとしているな」って脳に言ってやりたいものですわ。
でも、「がんばる」と腰痛が再発するような今のけいじの腰では、その心配もなさそうですかな。
その意味では腰痛持ちというのも、有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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