2015年7月6日月曜日

未読了の本『<わたし> ―真実と主観性』、返却期限切れで一度返却する

デヴィッド・R・ ホーキンズ博士の『<わたし> ―真実と主観性』を毎朝少しづつ読みすすめてきました。
まだまだ、返却には余裕があると思っていたのですが、念のため返却日を確認してみたら7月4日(土)で、旅行から帰った日が返却日だったのでした。
既にオーバーしていたことに昨日(7/5)の昼過ぎになってようやく気づいたしだいです。
ラッキーなことにちょうど雨があがってくれていたので、すぐ図書館に歩いて出向き返却してきましたわ。
この本は内容がスピリチュアルなだけに解りづらいのでじっくりと読み込んでいます。
頭では想像できても、身体で実際に体験したことがない内容などが書いてあるので、けいじにとってはなかなか難しい本ではあります。
それでもどうにか201頁まで読みすすみました。
習志野市外の図書館から借りているので延長はかけられません。
そこで、返却カウンターでもう一度「リクエスト・予約カード」に書いて提出しときました。
そんな本なのですが、感じ入った言葉を2つ紹介してみましょう。
①ヒラメキについて
≪霊的認識は自発的に起こるもので、思考のプロセスの結果として起こるものではありません。まるでひらめきのように、気づきの中に生じるのです。それは非線形的なプロセスで、突如、自分がただ"知っている"ことに気づくのです。ナイーブな人は「どうして自分が知っていることがわかるのですか?」と聞きます。経験から言えば、ただ明らかになる ― "腋に落ちる"のです。真理は主観性から生じ、明白で自明的です。このような認識は、まったく関係ないことに没頭しているときによく起こります。それは、"どこからでもないところからやってくる" 贈物のようで、与えられるのです。あたかも声にならない問いに対する答えのようです。それは満足感をもたらし、心の底にあった謎を解き、精神を解放します。また、努力もいりません。もし疑わしいのであれば、真理のレベルを測定すればよいのです。≫(p85-86)
②生まれ落ちた瞬間について
≪わたしたちには生まれ落ちた瞬間からある意識レベルがあり、それは継承したカルマの全体像を簡単に知る手がかりにもなります。そして頼んだ覚えもないまま、すぐに動物的な体と融通の利かない抽象的な"心"(マインド)に直面することになります。それには条件の一式もついてきます。というのも、肉体とともに感情体も継承され、これらすべてが複雑な文明の中の社会生活や家族関係と融合し、さらに歴史を通して培ってきた自らの生得のプログラムも加わるからです。≫(p98)
いかがですか?
なかなか奥が深いというか、頭が重くなりそうな内容だと思いませんか?
というわけで、しばらくのあいだ、頭を休めることができそうですわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

0 件のコメント: