2018年4月19日木曜日

野口晴哉先生の『風邪の効用』、治ると治すの違い、いよいよ『整体入門』へと

昨日のブログで、けいじの目指す健康法は自然の摂理に任せるという考えであると話していました。
その考え方に示唆を与えてくれることばを野口晴哉先生の本『風邪の効用』(ちくま文庫)の【風邪は治療すべきものか】(p24-p26)から紹介していました。
さらに示唆を与えてくれることばが見つかりました。
【治ると治すの違い】(p40-p42)
◆だから治すということは病気を治すのでなくて、病気の経過を邪魔しないように、スムーズに経過できるように、体の要処要処の異常を調整し、体を整えて経過を待つというのが順序です。
最近の病気に対する考え方は、病気の恐いことだけ考えて、病気でさえあれば何でも治してしまわなくてはならない、しかも早く治してしまわなければならないと考えられ、人間が生きていく上での体全体の動き、或は体の自然というものを無視している。
◆仕事のために早く治す、何々をするために急いで下痢を止めるというようなことばかりやっているので、体の自然のバランスというものがだんだん失われ、風邪をスムーズに経過し難い人が多くなってきました。
◆しかし愉気法をやって何回か風邪を経過すると、その都度に非常に早く経過するようになり、ごく簡単な変化で風邪を引き、風邪を引くと同時に、或る場処を愉気してもらいたい要求が出てきて、そこを愉気すると皆早く抜ける。
◆だんだんに風邪の宵越しをしなくなるようになっていくわけですが、愉気法以外の方法では、風邪を治した治したと言う度に、だんだん風邪の経過に鈍くなり、風邪を引いた後も疲れが抜けないのです。
◆愉気法をやると疲れが抜けて体がサッパリし、方々の弾力性が恢復するのに、それが起こってこない。だから同じ経過したといっても、自然に治ったというのと、治したというのではかなり違うようです。従って早く治せばいいという考えだけで病気に処することは、別の考え方からいえば、寿命を削る行為ともいえると思うのです。
◆早く治すというのがよいのではない。遅く治るというのがよいのでもない。その体にとって自然の経過を通ることが望ましい。できれば、早く経過できるような敏感な体の状態を保つことが望ましいのであって、体の弾力性というものから人間の体を考えていきますと、風邪は弾力性を恢復させる機会になります。
◆不意に偶然に重い病気になるというようなのは、体が鈍って弾力性を欠いた結果に他ならない。体を丁寧に見ていると、風邪は決して恐くないのです。
確かに、最近の病気に対する考え方は、人間が生きていく上での体全体の動き、或は体の自然というものを無視していますね。
けいじも今まではこのような考え方に洗脳されていたように思います。
「愉気法」(ゆきほう)ということばが出てきたので、いよいよ先生の『整体入門』(ちくま文庫)を読んでみようと思いました。
本の説明に「自分の力で自分の症状を癒す、数ある整体法の中でもっともベーシックでシンプルな操法と原理が、この1冊にまるごと収められました!」とありました。
昔、おやじに勧められて読んだ記憶があるのですが、ほとんど覚えていないですね。
ようやく、けいじに受入れの態勢・環境が整ったということですかな。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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