2017年6月20日火曜日

鋸山 日本寺、近くにこんないいお寺があったとは!!!

6月17日(土)のブログでは、鋸山の「地獄のぞき」まで登ってみたかったのですが、時間の都合で日本寺のお参りと周辺の散策だけにして、あとは次回のお楽しみとした、と話していました。
16日(金)はホテルを出発して、カミさんがタケノコが欲しいというので、「道の駅たけゆらの里おおたき」に寄りました。ここには以前紹介したことのある濃厚でおいしいアイスクリームがあります。
もちろんいただきましたわ。
次に「道の駅きょなん」に立ち寄りました。
お店をのぞいて回り、カミさんは梅とびわを購入していました。
それから、昼食は「ばんや」でラーメンをいただきました。
ばんや本館での定食は重いので運転の集中力が途切れないようにと人気のない別棟の方で軽くしました。
本館はガヤガヤと騒々しく、テーブルがベトベトしていて、入館の仕方が分かりづらかったですから。
ここでもカミさんはしっかりと干物を買っていましたわ。
最後に、鋸山 日本寺に向かいました。
東口管理所で拝観料を払い、拝観券と案内図をいただきました。


あとでその裏の説明文をよく読んでみましたが、由緒あるスゴイ場所だったのでした。
説明文の中から「鋸山 日本寺の由来」と「名勝鋸山」のところを紹介してみましょう。
【鋸山日本寺の由来】
日本寺は今から約千三百年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のおことばをうけて、神亀二年六月八日(西暦七二五年)高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。正しくは乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)と称し、時に帝よりはわが国の国号を冠する「日本寺」の勅額、宸翰ならびに黄金五千貫を、皇后よりは御手づからの刺繍になる
三十三観音の軸物および御戸帳料綾錦十匹を賜りました。
初めは法相宗に属し、次いで天台、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時、曹洞禅宗となって今日に及んでいます。
現存の古碑銘にあるように、かつては七堂、十二院、百坊を完備して、良弁僧正、慈覚大師、弘法大師などの名僧が訪れ修行した我が国でもまれにみる古道場です。
本尊の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は日本三薬師の随一として尊敬を集め、江戸時代の最盛期には実に三百万人講の名をもって東海千五百羅漢彫刻の大工事が行われました。
【名勝鋸山】
当山十万余坪(33万㎡)の境内地は千葉県指定の名勝で、十八勝、三十六景など数多くの秘境に富み、三尊御来迎の姿といわれる瑠璃、日輪、月輪三峰の大偉観、富士を眼下に東京湾を始め、全関東を一望にする頂上の大景観とともにその美しさは言葉ではいいつくせません。総てを鑑賞するには二日を要するといわれるほどです。また、すぐれた景観だけでなく、学術的にも貴重な存在で、山中の地質、動植物を調査研究するものには「天然の大博物館」として注目されています。
「鋸山 日本寺の由来」では次のことばに引きつけられました。
千三百年前、聖武天皇、光明皇后、行基菩薩、国の国号を冠する「日本寺」、天台、真言宗、曹洞禅宗、弘法大使などの名僧が訪れ修業した、古道場
確かに修業するにはこれ以上ないというほどの秘境のように思います。
「名勝鋸山」では次のことばに。
十万余坪(33万㎡)の境内地、富士を眼下に東京湾を、総てを鑑賞するには二日を要する、「天然の大博物館」
いやはや、近くにこんな名所・秘境があったとは。
驚きましたわ。
今回のドライブ旅行ではホキ美術館といい鋸山 日本寺といい、良き出会いがありました。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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