2017年4月5日水曜日

両親の37・27回忌法要、大黒寺との縁(えにし)、今後の法要

法要は仏殿にて執り行われました。(20170402)
そのあと、お墓に移動しての法要となります。
今回はその前にお師匠さんが堂内を案内してくださることになりました。
まず、空海さんの弘法堂、大黒天さんの本堂、それから法堂を案内していただきました。
このときの説明を聴いていて、このお寺は由緒があったのだなと見直しましたわ。
信仰心に溢れた母がこの曹洞宗のお寺を見つけてきて、父とよくお参りしていたものです。
そのような縁で、母が亡くなったあと、父はこの寺に永代供養の墓地を買い求めたようです。
母がここに葬ってほしいというようなことを父に言い残していたのかもしれませんね。
父が仏壇に残しておいてくれた書類によると、次のようになっています。
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一金 五拾萬圓也
但し代二期二霊地墓地永代使用料
巻石、盛土工事費共
右の金額正に受納いたしました。
昭和五十六年五月二十六日
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これにより、同日付で「大黒寺霊園墓地使用認証」を授与されています。
同時に墓地檀家加入金、二口2万円を納めています。
石碑と霊標については福田石材店の見積書によると次のようになっています。
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・石碑
庵治細目8寸角2重台花立付 供物代付
・霊標、庵治細目
銅手作仕上燈籠 玉砂利 サービス
合計980,000円
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そのあと、父が亡くなって葬られますが、その時の関係書類は仏壇には残されていませんでした。
けいじが亡くなったら、ここに葬ってもらおうと思っています。
カミさんについては、カミさんの遺志に任せることにしています。
今回の法要を通じていろいろと考えさせられました。
次は父の33回忌が2024年となります。
けいじが73歳のときです。
父の37回忌は2028年で77歳のときとなります。
母の50回忌は2030年で79歳のときです。
77歳まで生きて父の37回忌と母の50回忌をまとめて営みたいものですわ。
これは長生きの励みにもなりますね。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。
追記:大黒寺情報
①由緒
次が参考になります。
曹洞宗近畿管区強化センター ピックアップ寺院 日本最初 大黒天出現霊場 甲子御祈祷の寺 天童山 大黒寺(てんどうざん だいこくじ)
関係個所を抜粋してみます。
◆大黒寺は天智天皇4年(665年)正月、甲子(きのえね)の日に、役行者(えん の ぎょうじゃ)が金剛山の頂きで修験しているところに大黒天が五色の雲に乗ってあらわれ、『我は、福を与える神である。縁ある地に我をまつり祈願する道場とせよ』と、告げられた。お告げにあった縁(ゆかり)の地を探しあてた役行者は、その地に小堂を建て自らの姿を水に映して桜の木で彫った大黒天尊像を安置したのが起源とされる。
◆大黒寺の開山時は、修験道場であった。天平に入り密教伝来以後、空海によって真言宗寺院となる。その後、天正年間には織田信長の大坂進出の際の戦火にみまわれ堂宇は消失するが、当時この地の豪族・庄屋であった大黒豊継(おぐろ とよつぐ)の肝入りで再び寺所の整備がなされ中興再建された。
享保19年(1734年)に、大乗寺29世密山道顕禅師によって改宗され、曹洞宗の寺院となり現在に至っている。
◆境内には、七福堂・本堂・仏殿・弘法堂・法堂などの伽藍が建ち並ぶ。本堂には役行者が約1350年前、甲子の日に作り祀ったと伝えられる御厨子におさめられた本尊、日本最古の大黒天尊像をはじめ、約千年前に作られたという役行者、弘法大師尊像の他、十二神将像などが安置されている。本尊の大黒天は甲子の日(きのえねのひ=60日ごと)・節分・正月に開帳される。
七福堂には日本最大一木造大黒天が祀られている。お参りの際は、この大黒さまの打ち出の小槌で参拝者の背中をトントンとたたいて「おかじ」をする。
また、山門を入って左手「千年小槌」といわれるお堂には、「なにごともすずなりかなうねがいごと」と書かれ、鈴を鳴らしながら7回廻ってお参りすると、諸願成就が叶う大きな石の打ち出の小槌がある。
この他、境内で一度に七福神巡りのご利益を授かることのできる七福神石像など、数多くの福徳にまつわる施設や石仏像が安置されている。
この中に甲子という漢字がでてきます。
けいじが福島に持っている土地が甲子(かし)ガーデンです。
読み方は違いますが漢字は同じです。
ここに何か因縁めいたものを覚えますね。
②お師匠さんがテレビに!!!
大黒寺は最古の大黒天さまの発祥の地としてテレビで紹介されたことがあります。
その時、お師匠さんが大黒天像の前で解説しているのを偶然にも拝見しました。
それは2015年4月28日(火)TBS放送の『所さんのニッポンの出番!』という番組で、ソフィの出番(19:42~)というコーナーでした。
◆昔日本では、死者やあの世は非常に恐ろしく穢れていると考えられていた。そのため、あの世への贈り物としてお金を一緒に埋葬した。それは、お金は穢れを吸い寄せ、沈める力があると信じていたからだという。現代でもあるお賽銭は、身にまとった穢れをお金にたくしお祈りする行動なのだ。ご祝儀袋は、お金が穢れを引き寄せるので包むのだという。江戸時代には、厭勝銭という穢れを吸収するお金の代用品があったという。そこには大黒天が描かれていた。大黒天が現れたという大黒寺を訪れた。大黒様は福の神であり、手に持った袋で穢れを吸い取ってくれるという。また大黒天は、良い人間関係を築きお金をもたらすのだという。
けいじは弘法大師さまも崇拝しているので、曹洞宗の前が空海さんの真言宗寺院だったとは驚きですわ。
やはり、何か縁を感じますね。

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