2016年1月7日木曜日

昨年お参りした神社仏閣、自分の本性とは有り難い存在である!?

昨年(2015年)の抱負は自分に焦点を当てて“自分を極める“としていました。
その個別目標の1つに「神社仏閣にお参りする(自分の本性を極める)」というのがありました。
そこで、昨年お参りした神社お寺等を年代順に振り返ってみました。
1/1 誉田八幡神社
1/11 西宮神社
1/12 大黒天(大黒寺=お墓参り)
1/12 橿原神宮
2/11 二宮神社
5/3 諏訪大社上社前宮
5/3 諏訪大社上社本宮
5/6 出雲大社
5/6 白兎神社
5/8 諏訪大社下社春宮
5/8 諏訪大社下社秋宮
7/21 大黒天(大黒寺=お墓参り)
7/21 誉田八幡宮
9/20 香取神宮
9/22 蕪島神社
9/23 平泉中尊寺金色堂
9/26 南湖神社
9/26 鹿島神宮
11/1 大黒天(大黒寺=お墓参り)
11/3 諏訪大社下社秋宮
11/28 香取神宮
12/31 誉田八幡神社
こうして見返してみるとけっこうお参りしてたんだと驚いています。
お参りしながらも、自分の本性とはいったい何だろうかと考え続けていました。
その結果、たどり着いたところは祀られている鏡の存在でした。
神社にはだいたい鏡が祀られているのでした。
それは、何故なのか?
次のような結論に至りました。
鏡の前に立つと自分が映ります。
つまり、鏡の中に自分がいることになります。
祀られている鏡と自分が一体となるわけです。
そこから、自分の本性とは本当は祀られるに値するほどの尊い存在だということになります。
つまり、この浮世でともすると忘れがちになる、「神とつながった尊い存在であるのだよ」ということを思い出すためにお参りするのではないかと思うようになりました。
そうだとすると、これは有り難いことだ、ということになります。
その結果、すべてのものに感謝できるようになり、何があっても、ありがとうと言えるようになるのではないかと思うに至ったしだいです。
そんなわけで、新年の抱負が「何があっても上気元でありがとう」となりました。
話は変わりますが、カミさんが西宮神社のお札を伊勢神宮で買ったお神札(ふだ)立てに納めてから、仏壇とともにに神棚にもお参りするようになりました。
最近ではお参りのときに神社等を東から西へと読み上げています。
先ず初めに西宮大神宮さま、天照大神さま、天之御中主さまとお唱えしてから、
蕪島神社さま、南湖神社さま、鹿島神宮さま、香取神宮さま、玉前神社さま、誉田八幡神社さま、二宮神社さま、生島足島神社さま、大王神社さま、諏訪大社さま、熱田神宮さま、伊勢神宮さま、橿原神宮さま、大黒天さま、誉田八幡宮さま、白兎神社さま、出雲大社さま、その他八百万の神々さま、と。
さて、今年は新たに加わるのはどこの神様でしょうか。
今から楽しみですわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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