2015年5月20日水曜日

お墓のある羽曳野と住んでいる習志野、誉田八幡のお宮と神社でつながっていた

いま住んでいるところの氏神さまは誉田八幡神社といいます。。
この神社をネットで検索していたときに、関係のある地名として大阪の羽曳野市が出てきたことがありました。
そのとき、習志野と羽曳野、何か縁がありそうだな、とふと思ったことがありました。
いま住んでいるところが習志野市です。
両親のお墓があるところが羽曳野市です。
どんな縁でつながっているんだろうかな?と心のなかで温めてきました。
すると、いま読んでいる本『神社に秘められた日本史の謎』の中に羽曳野市の地名が出てきました。
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源氏(清和源氏)が八幡神を氏神としたことがわかる最初の史料は、永承元年(一〇四六)の源頼信の告文である。このとき頼信は、誉田(こんだ)八幡宮(大阪府羽曳野市)に氏祖としての八幡大菩薩に家門の繁栄を願っている。誉田八幡宮は応神天皇陵に建つ石清水八幡宮の末社である。p130
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そこで、ようやく謎が解けました。
お宮と神社つながりだったのです。
羽曳野市には誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。
習志野市には誉田八幡神社(ほんだはちまんじんじゃ)があります。
呼び方は異なりますが、同じ漢字です。
そこで、もう一度誉田八幡神社の概要を検索してみたら見つかりました。
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誉田八幡神社は、大久保新田の開祖市角頼母が延宝年間(1673-80)に、河内国古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市)の誉田八幡宮を勧請して創建したといいます。
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やはり、この八幡宮と八幡神社はつながりがありました。
両親のお墓があるところと現在の住まいがお宮と神社とでも不思議な縁でつながっていたというわけです。
今度、お墓参りのときに誉田八幡宮にもお参りしてみます。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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